'51年6月。
愛知県刈谷市にあるB級料亭の7人兄弟の6男として生を受ける。
中3でブルーズに出会うが、高校時代に見たNHKのシカゴ・ブルーズ特番に決定的なショックを受け、ブルーズ・シンガーになることを決意する。
'76年。
伝説のブルーズ・バンド“ブレイクダウン”結成。京都を中心に、'86年までの10年間、毎年100本を越えるライヴを行う。
'87年。
“One Arm”を結成。高円寺Jirokichiを中心に活動を開始。Year Recordより、シングル「You Can The Woman That You Want」をリリース。Year Record主催のMonthly Blues Sessionにレギュラー出演。同年11月8日には、渋谷公会堂にて‘It's The Blues Night’と題したブルーズ・セッションを行う。
また、TUBEの前田亘輝らと「渚のオールスターズ」に参加したり、チベットやタイ、マレーシアといったアジアの諸国を多く旅したのもこの頃である。
'90年1月26日。
Rhizomr(リゾーム)レーベルより、六本木ピット・インにてライヴ・レコーディングしたアルバム「Heart of Stone」でソロ・デビュー。同年3月、村上"ポンタ"秀一、山岸潤史、青木智仁、小島良喜らをサポート・メンバーに、東京・大阪・名古屋のライヴハウス・ツアーを行う。4月4日、坪倉唯子らと共に“B.B.クィーンズ”に参加。CX系TVアニメ‘ちびまる子ちゃん’のエンディング・テーマ「おどるポンポコリン」を発表。その後、5月21日に、‘東芝BSバズーカ’CMソング「上を向いて歩こう」、7月4日には、B.B.クィーンズのファースト・アルバム「WE ARE B.B.QUEENS」と相次いでリリース。そして、7月21日には、2nd ソロ・アルバム「GO BACK TO De BASIC THING」をリリース。ファースト・アルバムと同様、ライヴ・レコーディングによるこのアルバムは、音楽史ADLIBの年間ゴールド・ディスク3に一枚に選出された。この年、B.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」が、日本レコード大賞を受賞。
'91年1月10日。
R&Bの名曲を日本のミュージシャン達がカバーしたアルバム「Royal Straight Soul」に参加。4月3日には、六本木ピット・インで収録された3rdソロ・アルバム「Unchained Rhythm」を発表。その後、自らのバンド“JIGOT'S”を率いて全国ツアーを敢行。それと平行して、小島良喜とのデュオで全国をまわった。
'92年1月。
シングル「BOMBER GIRL」、2月にシングル「白いブランコでおやすみ」をリリース。3月21日には、JIGOT'Sと行った六本木ピット・インでのライヴを収録した4thソロ・アルバム「My Innocent Time」をリリース。3月1日から10日まで、高円寺Jirokichiにて、10日間連続ライヴ‘箱パン’また、3月28日から4月19日には、‘LIVER BREAK TOUR’(肝臓破りのツアー)を行う。同年7月、日本テレビ「24時間テレビ」のロケでカンボジアを取材。その後、ギター1本携えてニューヨークへ。ゴードン・エドワーズ&スタッフのメンバーとライヴを、そしてその足でロンドンへ渡り、今度は若手アシッド・ジャズ系ミュージシャンをライヴを行う。帰国後、11月に、シングル「グッバイ・モーニング」(with Keiko Utoku)、12月には、シングル「夢を継く人」(with Quncho)をリリース。
'98年8月。
「24時間テレビ」のロケで再びカンボジアを訪れる。9月には、ニューヨーク、ロンドンでライヴをしたメンバーを呼び寄せ、国内ツアー‘Blues Mistreaes’を行い、12月にこの数年間のグローバルな活動をまとめた初のビデオ「FUSANOSUKW KONDOU in Anytime Anyplace」を発表。
'94年2月。
初の日本語書き下ろしによるソロ・シングル「夢の尻尾」リリース。5月に5枚目として初のスタジオ録音盤「A LOW DOWN DIRTY SHAME」を発表。その前衛的な内容が話題になる。リリースと同時にロンドンへ渡り、日英米のワールドワイドなメンバーにより近藤の念願であったパーマネント・バンド“FUSA and the Grub Street Band”を結成。9月21日にロンドン・レコーディングによる6thアルバム「23A Benwell Road」をリリース。10月に“the Grub Street Band”のメンバーが来日、全11本の全国ツアー‘Anytime Anyplace’を行った。
'95年6月。
再び“the Grub Street Band”のメンバーが来日。6本の全国ツアーを行う。12月には、ニューヨークより、ゴードン・エドワーズを迎え、‘近藤房之助とゴードン・エドワーズ Terrible Friends〜Take me back to the blues〜’を行った。
'96年3月。

再びロンドンへ渡り、“FUSA and the Grub Street Band”の2nd アルバムのレコーディングに入る。そして8月21日、先のゴードン・エドワーズを迎えたライヴを収めたアルバム「rough mixed 〜Live at SHINJUKU LIQUID ROOM〜」と、“the Grub Street Band”の2ndアルバム「GRAVEL ROAD」を同時リリース。

'97年1月。
“the Grub Street Band”を率いてのジャパン・ツアーを敢行。その後、日本でのバンド”近藤房之助&The Deepest Poket”で、全国津々浦々をライヴする傍ら、9月19日には、これまでの近藤のキャリアの中で初めての全曲日本語詩によるアルバム「In a deeper pocket」をリリース。
'98年1月。
‘In a deeper poket発表会’を日清パワー・ステーションで行う。弦曲四重奏を交えたライヴは絶賛を浴びる。12月には、大阪ザ・シンフォニック・ホールにてクラッシックのオーケストラとの共演をする。
'99年4月。
京都のライヴ・ハウス礫礫26周年記念ライヴで、“ブレイクダウン”一日だけの再結成。その後、”近藤房之助 B&O”を結成。“The Deepest pocket”と“B&O”で、全国各地をライヴしてまわる。
2000年2月3,4の両日。
目黒Blues Alley Japanにて、“近藤房之助 B&O”で、ライヴ・レコーディングを敢行。5月20日に、ライヴ・アルバムをリリースする。


海外ミュージシャンでは、B.B.キング、ロバート・クレイ、オーティス・ラッシュ、スタッフ等、多数のアーティスト達と共演する傍ら、日本においても、その音楽活動は、ブルーズ界にとどまらず、数多くのアーティストに影響を与えている。