永井"ホトケ"隆


「Trick Bag Tribe(TBT)」vol.12/2000.1.18


TBT(Trick Bag Tribe) No.12

TBT(Trick Bag Tribe)No.12(待てば海路の日和有り)

 

決定!!2000年1月17.18.19日、3夜連続のライヴをレコーディング!

結成以来1年半ほどが過ぎましたが、TBTのみなさんの心からの声援をいただきE-メールで送るTBTだけでも70通以上、郵送しているのが60通ほどになりました。他の誰よりもこのTBTの皆さんと客席の人たちからの拍手が自分たちの自信となり、そしてその自信を確信に変えたひとつ要素は皆さんの変わらない声援です。音楽に行き着く先が見えるということはありません。しかし、その確信を持って我がTrick Bag号の軌道に間違いなしとレコーディングを決定しました。ならば、「一晩で地球を3周するバンド」らしく現在のリアルなこの音をそのまま、拍手や声援や足音も、25年を迎えた日本一のライヴハウス「Jirokichi」の空間に漂うすべての音をパックして残してしまおうとライヴ・レコーディングすることにしました。何年か何十年か経ってアルバム写真を開き、思わず笑みがこぼれてしまうような楽しいライヴ・レコーディングの夜にしたいと願ってます。これからもずっと続くであろうライヴ・ミュージック・ライフのひとこま、2000年の1月17.18.19日の3日間の記録を皆さんも残しに来てください。

ライヴ・レコーディングするTrick Bagに以下の方々から期待の『お言葉』をいただきました。

♪『Jirokichiで生まれた奇跡のBand"Trick Bag"のアルバム・デビューをみんな待っていました。Trick Bagのライヴの凄さをCDで伝えられるようになるんですね。心から応援しています。』Jirokichi・Booking Manager. TAKA

♪『ヒットチャートの戯れ音を腹立たしく思う今日この頃。ホームグラウンドJirokichiでのT.B.3daysがCDになる!音楽でヤラれるにはもってこいの話ではないか。『福音』としか言いようがない。』Music Editar Tsunenobu"PiyoPiyo"Kawada

♪『いろんな音のTrickが、Bagの中からあなたの耳を刺激します。』

THe Jack of the blues ( a.k.a.Mr.Chicken) The Wild Magnolias  山岸潤史ひとつの目標であった最初のレコーディングに約1年半で到達できたことは嬉しい限りです。TBTの皆さんと、Jirokichiのスタッフ、無償で手伝ってくれている方々に深く感謝します。

ということで今回はLive Albumの話をしょう。さて、ライヴ・レコードというとみんなは何を思い出しますか?すぐ思い出すものだけでも、たくさんあるのですが・・・、僕が思いついたものをざっと挙げるとこんな感じです。

1.Live at FillmoreEast/The All man Brothers Band

ロックのライヴ・アルバムと言えばまっ先に思い出すのが、これ。初めてこのライヴのビデオ(海賊盤だが)見た時、亡きデュアン・オールマンの動く姿を初めて見て「ああ、デュアンが動いた・・・」と、涙ぐみそうになった私です。バンドはMCもあまりせず淡々と演奏を続け、客席のノリはみんなそれぞれ。現在の日本のように客電が消えると、すぐ立ち上がって盆踊りのごとき同じアクションを全員がするようなことはない。もちろん踊っている人もいる。でもみんな勝手にやってる。2人連れでイチャついてる男女、腕組して演奏を深く考察する輩、アシッドを決めすぎて目が泳いで立てないヤツ、まちがいなく寝ているいるヤツ、ハッパ吸い過ぎてヘラヘラ笑いながら会場通路を行き来しているヒッピー・・・など。プログレッシヴ・ブルーズ・ロックを作ったオールマンを超えるこの手のバンドはいまだにいない。日本にはそこを志向する若手もいない。

 

2.Otis Redding & Jimmi Hendrix Live at Montley Pop Festival

昔、近藤房之助とこれを聴くと次に聴くものがないなぁとため息ついたものです。同じ黒人でありながら、言わばオーティスは当時のサザン・ソウル・シンガーのトップ、ジミはロック・ミュージックの革命家。ジミはアニマルズ(TBがカヴァーしている”We've gotta get out of this place" のオリジナル)のベースだったチャス・チャンドラーの「イギリスヘ行って一旗挙げへんかぁ」という誘いにのって旗が挙がりかかった頃の凱旋帰国ライヴ、一方オーティスはリトル・リチャードをアイドルとしてジョージアから出てきてメンフィスの「スタックス・レコ−ド」からヒットを出し始め白人層にも人気が出始めた頃。当時、白人の大コンサートに黒人が出ること自体が珍しかった。もちろん、出るのは初めてのオーティスを「アトランティック・レコード」のスタッフ、マネージャーはとても心配したらしい。なにしろ客はヒッピー気分の頭に花なんぞつけた白人、オーティスとバンドの”ブッカ−T &MG'”はコンポラのスーツだ。しかし、最後には「Love each other!」とコールするオーティスに熱狂の声で応える聴衆。音楽で人種の壁をこえる感動的なシーンだ。一方、凱旋帰国コンサートだけにジミの心技体どこにも隙はなく、世界一カッコいいロック・ミュージシャンを見せつけた。聴く者はみんなマゾ状態になってしまうアナーキーか壊し、燃やすというパフォーマンスを展開。アンプにギターをこすりつけてハウリングさせるシーンなどはセクシーかつキレたか?と思わせる。ジャズの神と呼ばれるマイルス・ディビスがこの時客席にいて、ジミとのバンド結成まで考えていたらしい。ロックのいちばん美しい時代のひとこまだ。そのマイルスのライヴ盤「アガルタ」も好きなアルバムだ。

 

3.Miles Davis/Agharta

 塩次伸二の車の中で聴かして貰い次の日に買った。75年の大阪フェスティバル・ホールのライヴだ。この時のギター、レジー・ルーカスはジミ・ヘン・タイプのギタリストだ。よく、ジャズは難しいという人がいるが、難しく感じてもどこか気になるところがたくさんあれば僕は聴く。難しい、退屈、疲れるだけのアルバムならそれはつまらないだけのしょーもないアルバムだろう。しかし、自分のわからないこともわかろうとしないと結局何も、何ひとつホントのことは分らないと思うのだが・・・。ジャズが嫌いな同乗していた京都のピアニスト、有吉須美人は「なんか、違うの聴かせてくれへん」と伸ちゃんに言ったが、「伸ちゃんもう一枚の方も聴こや(このアルバムは2枚組)」と強引にアリヨをねじ伏せた私でした。

 

4.BB.King/Live at Regal

Bluesにとりつかれた頃毎日何度も聴いた。僕のブルーズの教科書のひとつ。シカゴのリーガル劇場での60年代中ごろのBBのライヴ。まだ、白人層にウケる前で客はほとんど黒人。女性の「キャーッ!」という嬌声が聴こえるが、この頃はBB もまだブイブイいわせていた頃。歌声に艶と粘りとコクがあり、ギターには本生のキレが光る。これと同時にブルーズの教科書だったのが次の一枚。

 

5.Muddy Waters/Fathers & Sons

最近マディの息子がデビューしたが、ひどい代物!このアルバム聴いてちったぁ勉強しろ、オヤジの爪のアカを煎じてじゃなく、生で飲め。この「Fathers& Sons」の白人プレイヤー、ポール・バターフィールドやマイク・ブルームフィールドの方が音楽的にはマディの息子(son)だ。

 

6.Magic Sam/Live

これはアナログ盤では2枚組で、1枚は陽の当たる世界に出れなかった時代のシカゴのゲットーのクラブでのライヴ。もう一枚は人気が出始めた頃の”アン・アーバー・ブルーズフェス”でのライヴ。しかし、このコンサ−トのすぐ後に人気が出て、やっとたくさん仕事の依頼が来るようになったのにサムは心臓マヒで亡くなってしまった。

 

7.Buddy Guy/This is Buddy Guy

これは日本盤のタイトルが”白熱のライヴ”だったと思うが、1968年カルフォルニア、バークリーのクラブでのライヴだか、血管ブチ切れのバディのライヴ。だんだん狂気の沙汰になっていくノリのバディ。ギターのチューニングも狂気の沙汰になって、バックにホーン・セクションが入っているのでチューニングの狂いに神経質な方にはお勧めません。

 

8.James Brown/Live at the Apollo '67&

Love Power Peace(live at the Olympia,Paris,1971) 2枚とも親分JBも強力だが、バンドのFamous Flames,JB'sの鉄壁のバック・アップも頭が空っぽになるほどの最上グルーヴ。素晴らしいライヴはこういう状況で生まれるという見本。このニ枚で身体が動かなかったら、あなたはファンク不感症だ。グルーヴ感欠損症またはビート神経失調症かも知れない。とりあえずすぐに薬局へ行って、身体が暖まる塗り薬、老舗メイシオ社の「パーカー・グッド・タイム」、見てくれは少し気持ち悪いがプリンス製薬のはり薬「Kiss」を気長に使ってください。錠剤のマイケル(ジャクソン製薬)という新薬が一時効くという話だったが、あれは皮膚が白くなるスリラーという副作用がきつくて、男性の場合は不能になることもあるらしい。そういう時はすぐにニューオリンズの医者、マック・レベナック通称ドクタ−・ジョンのところに行くことを僕は勧める。重症の時は恐らくドクターの師である、ヘンリ−・バード教授ことプロフェッサー・ロング・ヘアーがいるセカンド・ライン大学病院か、ジガブーという強力なファンク療法で有名な「ミ−タ−ズ療養所」での長期療養をドクターは勧めると思う。

 

9.Sam Cooke/Livw at Harlem Square Club

 1963幻の名盤とはまさにこれのことで長い間レコード会社の思惑でお蔵入りになっていた天才Sam Cookeのライヴ。ほとんどが黒人客の黒人街のクラブでのライヴ。サム・クックというとスウィートでスマートでスムーズな唱法を思い出す人が多いと思うが、もうコテコテ、ドクドク、グイグイのサムちゃんの本性が垣間見れる秀逸なもの。サムはもう一枚「Live atCopa」というライヴ・アルバムを残しているがこっちは白人高級クラブでのライヴ。こっちはスウィートでスマートでスムーズというより、No Grooveの白人客に自嘲気味な笑いもするサムが「ギャラ貰ってすぐ帰ろや」と楽屋で言っているようなライヴ。前者を先に聴くとまるで手抜きのようなライヴ。

 

10.Aretha Franklin/Live at Fillmore

アレサの名盤中の名盤。バックはキング・カーティスのバンド(ギター/コーネル・デュプリー,ドラム/バーナード・パーディ、オルガンにビリー・プレストンなどバリバリのメンバー)、そしてゲストにレイ・チャールズ。一級の寿司職人を雇って屋形船に乗って、特上のネタで握ってもらい、そこに祇園からきれいどころの芸者を呼んで、限定もの大吟上の日本酒を飲むような贅沢。

 

11.O.V.Wright/Live in Japan

このライヴ盤には僕の歓声と拍手も入っています。死を完全に予期していただろうO.V.の最後のソウル(魂)を生で聴くことができたのは幸せだ。ほとんど喋らない、淡々としたライヴだったが、後から考えるとそのエネルギーのすべてを歌だけに注ぎ込もうとしていたO.V.ではなかったか。アレサが極上の贅沢なら、このO.V.は内省的で精神性さえ感じさせる無駄のひとつもない懐石料理を静かな座敷で正座して食べる趣。歌手ならばこれを聴いて自分の姿勢を糺そうとするはず。精進料理に近いかも知れない。



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