永井"ホトケ"隆


「TRICK BAG TRIBE」1999.05.26


Trick Bag Tribe Vol7.

一度だけ佐渡島へ行ったことがある。港に迎えに来ていた主催者に連れられて着いた会場はライヴハウスじゃなく・・・大きなスナックだった。リハを終え「観光しますか」と主催者に連れられて行ったのは・・・佐渡の金山跡だった。動くロウ人形が金を掘っていた。開演前、大きなスナック前は外車はじめ高級車がずらっと並んだ。主催者は言う「親が島に子供を引き留めておくために買ってやるんですよ。でも、ドライヴで島一周なんてすぐですけどね。ハハ、ハハ・・」笑えなかった。演奏前にMCが入った「演奏後にはバンドのみなさんも参加のカラオケ大会があります」。・・・もっと笑えなかった。演奏後、着替えているとカラオケが始った。「今日のバンドがブルースやってたからブルース歌いま〜す。」マッチの「スニーカー・ブル−ス」が聞こえてきた。悲しかった。泊まりはお寺だった。夜中、真っ暗な中トイレまで遠くて、恐くて我慢した。苦しかった。新潟と聞くといつもこの佐渡の、「サドな」思い出が蘇る。メンバー・プロフィール今回は新潟出身、未確認星生まれ、鶴谷智生です。

♪鶴谷智生/1965/7/18生まれ
{高校を卒業後、カナダ、バンクーバーに行き音楽を始め、約1年後に帰国してフュージョン系バンド「Aike・Band」(アイク・バンド)で87 年にNEC・アベニューよりレコ−ド・デビュ−。そしてスイスのモンタレー・ジャズ・フェスに出演}というのがいままであった鶴谷のプロフィール冒頭。かっこええやん鶴谷・・。ドラムは高校時代に始めているが、その頃好きだったのがフランク・ザッパ。<フランク・ザッパは60年代中期から活躍し、マザーズ・オブ・インベンションというグループを率いてベトナム戦争中、兵隊をステージに上げて人間のぬいぐるみを使ってどんな風にベトナム人を殺したかをやらせるなど痛烈な社会批判をもち、またしっぽから生クリームが出るキリンの人形をステージで使い猥褻罪で何度か逮捕されている。ロック界の変人と思われているが、アヴァンギャルドで、しかも高い音楽性をもっている>。また、先輩に「四人囃子」フリークがいて、もちろん「一触即発」「空飛ぶ円盤に弟がのったよ」は聴いていたという(やっぱり円盤が好き)。つまり、アヴァンギャルドで、プログレッシィヴなロックが好きなマセた田舎の宇宙人、いや高校生だったらしい。鶴谷が高校生の頃は日本はテクノとパンクが流行りニューウエイヴと呼ばれた時代。ちよっと「変な」ロックやポップスがもてはやされていた頃で、テクノはやたら無表情で、パンクはやたら目をむいていた。どちらも日常からの離脱を求めていたと思うが、普通の中にこそ真の「変な」ものがあることに気づいてはいなかった。ザッパは普通の変な、変な普通の音楽を70年代からやっていた。宇宙人-鶴谷は正体を隠すために極力普通の高校生を装った。しかし、ザッパが好きだったために「あいつ、ちょっと変わってる」「ボッーと空見て何か歌ってた」「変態ちゃうの・・」と噂が流れ、新潟にいずらくなった彼は留学を名目にカナダ、バンクーバーへ飛ぶ。もちろん自家用円盤(サイケ仕様88年型ナビゲ付)だ。どうしてニューヨーク、ロスでなくカナダだったのか。「新潟の田舎の高校生が東京も知らないのに急にロス、ニューヨークは・・バンクーバーには友達もいたもんで・・」宇宙人の基地があったのか?そこで彼は英語の勉強をしながらバンドもやっていたという。そして 帰国後「Aike・Band」の参加となる。
その時、斉藤ノブ、青木智仁等と番組のハウス・バンドのメンバーだったギターの是方博邦と知り合い、彼に誘われバレンタイン、JIROKICHIに出演するようになる。以後、土岐英史クルージング、チャリートなどフュージョン系のミュージシヤンとの交流が多くなるが、ハードロック「ラウドネス」の高崎晃のレコーディングをはじめ、スタジオ・ミュージシャンとして活躍を始める。参加したものをざっと挙げると、谷村新司、久松史奈、林田健司、シャケ、渡瀬マキ等など。また、サポート・メンバーとしてツアーに参加したのは飛鳥涼、リボン、パーソンズ、カルメン・マキなどと多彩。彼がドラムを始めた頃に好きだったバンドのひとつにパフュージョン系の「プレイヤーズ」がある。「プレイヤーズ」はギター松木恒秀、ベース岡沢章、ドラム渡嘉敷祐一など一級スタジオ・ミュージシャンで構成された、いわゆる「Musician's Musician」的なバンド。「プレイヤーズはフュージョン系と言ってもインプロヴィゼーション(即興)の多いバンドだから好きでした。その頃から決まりきったことより人と違うこと、何か変わったことをやろうと思っていたらジャズに出会ったんですよ」と鶴谷。また、渡辺香津美の「MOBO」も好きだったという。「MOBO」も腕利きミュージシャンの集りだった。つまり、スター性や有名願望より、確実で、高度なテクニックを持った音楽性の高いミュージシャンへの憧れがあったのだろう。「どのくらい早くシンバルが叩けるか、どれくらい早くキックが踏めるかというテクニック至上主義に陥っていた頃もありました」と鶴谷。ドラム・ソロのあのヘリコプターの羽根のようなシンバル・ワークはこの頃憶えたものだろうか?是方バンドに参加していた頃、彼はカルロス・トシキのサポートをしていた。このサポート・バンドのベースが当時「チキン・シャック」のメンバーだったボビー・ワトソン。ボビーから鶴谷に「チキン・シャック」への誘いがかかった。幸か不幸か、天国か地獄か、「チキン・シャック」には山岸潤史が待っていた。「もう、いつもカンカンでパキパキのギターですわ。」鶴谷のその頃の山岸の印象だ。結局、鶴谷が「チキン・シャック」最後のドラマーとなってしまうのだが、自らも地球人だか宇宙人だか・・何という生物かもわからない山岸は鶴谷をいたく気に入り、その後自らの「カンカン・ブラザーズ」そして「ブルーズ・トリッパー」へ鶴谷を引き込んだ。そして、そこには”泥酔熊”大西真と”鍵盤犬”小島良喜がいた。そして、ホトケとのセッションが始まり・・・TB へ。鶴谷は現在TBの他にMicky-T(神崎マキ),メイバリーズのバッキング、また六本木アルフィーなどでもGIGをしている。ドラムはまさにバンドのエンジン。ホットでありながらクールであり、バンドの起爆剤であり、リズムの要、ドラムがコケたら皆コケたになる。鶴谷を初めてホトケに紹介する時、山岸は自慢気な顔でこう言った-「ホトケ、絶対気に入ると思うわ。行く時には来おるで・・ドカーン!来るでぇ」確かにドカーンと「一晩で地球を三周する」ドラムだった。ヴォ−カルは馬みたいなもので人参をぶら下げられ尻を打たれたら走る。騎手はドラムだ。
ドラムを始めた頃から「他の人と違うことをやりたい」と鶴谷は考えていた。誰それに似ているというのは物真似芸人以外には決して褒め言葉ではない。コピー天国の日本では褒め言葉らしいが、それはオリジナリティがないということではないか。しかし、下手をするとそれは「ただの変なもの」で終わってしまうこともある。「ブルーズやR&Bを知ってから歌心とか、普通の中からすごいハップニングがうまれることも知りました」と鶴谷。普通の中にある変なことは、強力に変なことが多い。 TBは普通の変な、変な普通の、誰にも似ていない、誰にもマネできない音楽を宇宙人ドラマーのエネルギーで作っている。そして、「一晩で地球を三周するバンド」から「一晩で月まで往復するバンド」を目ざします。なんせ機長は自家用円盤もってる宇宙人だっせ。世界で初めて地球の周りを回ったのは犬、泥酔熊は宇宙酔いも平気、妖怪は「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」の作者。三日月男にとっては故郷ですから・・・月は。そこは船橋の「月」か・・・?ちゃうちゃう。



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